「…権謀術数と漁色に明け暮れる毛の日常生活…。」
え?!
「毛(け)」って?!!
何?!!
うつらうつらと読書をしていた通勤電車の中で、叫びそうになった。
よくよく読み直したら、米原万里さんの通訳エッセイの中で、李志綏著『毛沢東の私生活』についての記述だった。
ああ。毛沢東の毛ね。
頭の中を「け」から「もう」に意識して変換して読み進めるのだけど、どうもおかしい。
「毛は毎晩のように若い女をとっかえひっかえ…」
「毛の言葉」
「毛の威光」
「毛」の出番の度、どれも「けはまいばん」「けのことば」「けのいこう」
むしろ「け」で読んでやろう!という自分がいる。
もはや毛(もう)より毛(け)が人格を持って力を振っているように想像して、可笑しくて仕方ない。
よく薄毛のCMに出てきているような毛の着ぐるみを着たものが頭の中でうごめいている。(疲れているからだわ。変なことでもヘラヘラ笑ってしまう)
「毛沢東」は「毛沢東」ひと続きの表示でお願いしたい。でないと、着ぐるみが出てきてしまう。
ただ、意識しすぎる余り、本家、無駄毛の「け」さえ、「もう」と読みだすのではないかと心配している。