きのう、何してたかな。

猫好き、山好き、本好き、映画・ドラマ好き。トドメは食いしん坊OLの、平凡な記録です。

名画に再会。

 

数か月前に開催を知り、楽しみにしていた「横山大観展」。

さっそく近美へ行ってきた。

そう。「生々流転」を見るために。

会場は、明治、大正、昭和と、時代でカテゴリ分けしており、作品の変遷を順に展示されていた。初めて大観作品を観る人にとっても、見やすくて、分かりやすく展示されているのではなかろうか。

横山大観は何度か見てきたつもりだけど、初期の作品では筆のタッチも、木々の描写も、力強く、時に尖っていたり、実験的であったりと、自分の知っていた巨匠大観の作品とはだいぶ違っていて、若い頃の作品も素敵だった。ある作品では、松林の道を歩く旅人の姿が隅に描かれているのだが、人の頭が、「〇」丸一つで(笑)済ましている。なんとまあ、手を抜いてるな!と思わず吹き出してしまった作品もあった。チャーミングな人なんだろう。(チャーミングで思い出したが、明治の作品で、「花卉線香」という下村観山や川合玉堂らと恐らく、遊びで供して描いた画があったのだが、香炉か何かにこんもりと積まれた灰?をみんなの落款を押して表しており、それがとても面白かった。皆、カッコよい落款を作っていて、自分でも落款を作りたくなってしまったくらい。)

また、富士山ひとつをとっても時代と共に表情が変化していて趣深い。特にトルコブルーが映えた「霊峰十種・秋」と「群青富士(右隻)」が良かった。青が好みだからかな?

大正ブロックのラストには、お待ちかねの「生々流転」が小下絵と、本作で順に展示されており、下絵を見ていると、ある点では、ふわーっとなんとなくスケッチされているかと思えば、下絵からぎっちりと描き込んでいる部分もあり、ここは大事、ここはこれを描きたい!という気持ちの濃淡というのか、大観の頭の中を覗けたような気分になった。40メートルもある作品を、ちいさな小下絵で構成するのも大変であったのではないだろうか。あとは、スケッチの鉛筆画を見ることもあまりないので、鉛筆のタッチも力があっていいなと思った。

そして、再会を待ちかねていた「生々流転」は、何度見ても飽きがこない。7年ぶりに見ると、初めの方の山間部の描写も思ったよりも長く続いていたり、波の打つ様子、泡立つ様子など、同じ墨なのにどうしたらこんなに見事に描き分けられているのだろう?と改めて気づかされる部分が多かった。木々の書き方も、物語が進むにつれて変化していたり、雲や海、水の表現も素晴らしかった。何よりも、墨たったひとつ、1色で、どうしてこんな幅の広い悠大な表現ができるのだろう?!と感激してしまった。墨画って素敵だ。

それと、絵具や墨の乗り具合が紙と違う絹本の魅力も改めて気づいた。

 

お土産に、「生々流転」グッズがあればと思ったが、権利の関係か?あの長い絵巻をグッズにするのは難しいためか、商品はなかった。代わりに富士のポストカードを買った。

 

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6曲1隻の絵はちゃんと折りたためるようになっていた。凝っている。

 

実は業後、開催日の夜に行ったのだが、

人はそれなりにはいたものの、上野のような驚愕的な混み様とはほど遠く、

じっくりと自分のペースで観覧ができた。

気に入った美術展があれば、初日の夜に滑り込むのがおすすめである。

 

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