きのう、何してたかな。

猫好き、山好き、本好き、映画・ドラマ好き。トドメは食いしん坊OLの、平凡な記録です。

平素の歓び。

 

昨日は、東日本大震災から7年目の日を迎えましたね。

当時、私は全社会議に出席していて、映画館並みの大スクリーンで会議のpptを見ていました。途中、ギシギシと、普通ではない揺れを感じ、揺れが収まるまで、机の上にへばりついて、じっとしていました。そして、スクリーンは、ニュース速報の中継に切り替わり、港や街を飲み込んでいく、狂暴な津波の姿が映し出されました。これはフィクションなのでは?!と思うほどに、のどかな漁村の街をあっけなく、一瞬にして黒い街に変えていきました。私はただ茫然と、震えながら眺めることしかできませんでした。今でもそこで見た映像は、目に焼き付いて離れません。

 

私には、東北出身の友人がたくさんいて、どうやら東北人の気質としっくり馬が合うようです。なので自然と、普段も復興の話など耳にする機会がよくあります。みんな自分の育った街を愛していますし、老後は故郷へ戻りたいと言っています。復興事業に参加するため、Uターンで転職した友人もいます。それに、早逝した私の仲良しも、東北の被災地で教鞭を取っていたので、生きていれば、被災していたのかなと考えることもあります。

復興は、全てがまだまだ道半ば、完全廃炉の頃には私なんて骨になっているでしょう。でも、遠い未来に生きる人たちが、心地よく普通に生きられるようにすることは、事故を起こした要因(大量の電力を消費する者として)でもある、現代に生きる私たちに責任と義務があるのを忘れてはいけない気がします。

最近見た韓国ドラマで、「人を愛する時間さえ、足りないというのに、どうして恨みや憎しみに時間を使う時間があるというの?そんなことに時間を費やしてはいけない」というセリフがありました。

負の気持ちだけでは、人は心を蝕まれていきます。そんなことに時間を費やしてはいけない。希望ある、愛あることに時間を使わねばいけない。そんなことが、どんなに幸せで貴重なことなのか、普段通りに生活している者は、気づかなければいけない。その通りだと思います。

そして、哀しみを背負った人たちの心に寄り添い、助け合いながら、諦めずに前を向いて生きていくしかないのだと思います。

この大震災で犠牲となられた方々に哀悼の意を表しますとともに、今なお避難生活を余儀なくされている皆様方に心からお見舞いを申し上げます。

 

年に数回は、真面目に書いてもいいのじゃないかと書いてみた。

昨日は、ふるさと納税で、東北の復興事業に寄付をした。