きのう、何してたかな。

猫好き、山好き、本好き、映画・ドラマ好き。トドメは食いしん坊OLの、平凡な記録です。

女京都旅②

2日目。

 

スイートのベッドは寝心地が良い。(ドラクエの朝のテーマ音が流れるくらいにwww)

完全熟睡で快適に目覚める。

というのも、不明者も私も、寝たらじっと動かず、歯ぎしりもせず、いびきもかかず、寝言も言わず(この辺、自分では分からないのだが、周りがそう言うので信じている)、ただ死んだように固まって寝入るタイプなので、お互いの騒音に脅かされることがなかった。素晴らしい。彼女が男だったら、、、。もしくは私が男だったらどんなにいいことかっ!!

 

ぱっぱと支度をして、ホテルをチェックアウト。

荷物と共に、ホテルの送迎バスで京都駅へ。送迎バスって快適。

京都駅に着くと、とりあえず新幹線乗り場の近くのロッカーに荷物を預ける。

やはり、年間5500万人が訪れるスーパー観光都市。

ロッカーが、全然空いていないっ!!!!1階にあるロッカーはほぼ全滅。

そこで、BBAが知るニッチな…というのか、BBAが学生だった頃からあるロッカースペースに行くと、ほらほら、空きまくりっ!!嬉

JR京都駅地下の、トイレの先の奥~の方にあるロッカースペースである。困ったら、ここへ行くべし!

ついでに地下街で軽い朝食。パニーニセットを食べる。旨し。

 

荷も軽くなったので、出発。

本日は、この旅の要、「待庵」へ参るのである。

京都駅に入ったものの、何線に乗ったらいいのか迷ってうろうろしていると、すかさず不明者が、「外人のふりして聞いてくる」と、目の前にある外国人専用窓口に尋ねに行った。

何やらいろいろ話した後、「あの窓口、ほんとに日本語できる人いなかったよ。英語と中国語だった(笑)」と戻ってきた。英語で乗り換え案内を中国人に教えてもらったそうだ。なんだか不思議な都市になったものだな。

 

 京都線に乗り、山崎駅へ。

駅を降りるとすぐ目の前に、妙喜庵が。

 

妙喜庵。室町時代明応年間の創建で今の重要文化財及び庫裡である。

予約した時間に入り口を開けるとお寺の息子さんかな?若い人が出てきて、先客の鑑賞が終わるまでお待ちくださいと書院の奥の間に通される。恐らく30分前に予約をされた先客であろう、方々が退き、荷物を置いてどうぞ、と書院の間に案内されて、待庵とそのお庭を眺めながら、建物についての説明を受ける。

茶室 待庵(国宝)。妙喜庵三世功叔禅師の時代、有名な天下分け目の天王山合戦が起こり、羽柴秀吉明智光秀を討とうと姫路より軍を進め山崎に至り、陣を敷いて陣中に千利休を招いて二畳隅炉の茶室をつくらせた。利休は功叔禅師と共に秀吉に茶を点じ禅を談じて陣中の苦労を慰めたと言われる。その後、待庵は解体され、妙喜庵に移築されたといわれる。建物の構造の詳細は、以前日記に『日本建築集中講義』についての感想で、記しているので割愛。

茶室待庵は、千利休独特の構想で建てられ、現存する茶室建造物としては日本最古のものであり、千利休の遺構としては唯一のものだそうだ。

一通り説明を受けた後、サンダルに履き替えて、庭から待庵の内部を見学する。本で読んだ通り、掛け込み天井と棹縁天井の組み合わせや、柱を隠して壁を塗っている点など、2畳構造とは思えない広さを感じる。それに躙口が普通のものよりやや大きいのは、利休が大男だったからだとうかがえる。また、連子窓や下窓の大きさや位置は、室内の光彩の効果を計算して設置しているようだ。本当に、無駄なものを一切そぎ落とし、究極のシンプルを求めたのかもしれない。

広く見えると言っても、結局は2畳スペースなので、懐石の際には最大でも3名で行われたのではないかと。

 

再び書院に戻り、縁側や柱を眺める。不明者が柱にある矢じり傷を見て「わー、すごい。この傷ひとつで戦があったということがわかるねっっ!!」と興奮する。柱には、5,6か所に、矢じりのひし形の傷が刻まれている。江戸時代は長州藩が屯所としても利用していたそうなので、藩士達が柱を突いて遊んでいたのではないかと言っていた。

また、書院の柱はすべて、面取りされていたのだが、「室町当時の流行の形だったのではないか」と、お寺の方の説明。

と、ここでまた不明者が「これは絶対、風水だと思う。中国は柱の角を向けると不吉だと言われるので、面取りするのよ。これは、風水!!」と宣言していた。不明者は中国でも仕事をしていたので、中国文化にも詳しい(特にアンダーグラウンド方面に、殊の外、詳しいwww)。 家に帰ってから調べてみたら、室町当時は、日明貿易が盛んであったこともあり、中国の影響を受けていることも否めない。不明者のお蔭で新しい発見ができた。さすが、多文化享受者。

30分、たっぷり説明を受けて、見学は終了。次の見学者が来られたので、入れ違いで出る。

 

せっかく山崎へ来たのだからと、もう一つの観光スポット、大山崎山荘美術館へ。ここは5,6回行っている。この洋館好きなのよね。

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特別展は、濱田庄司の作品展だった。こちらも益子で何度となく拝見しているので馴染み深い。

今回は、建物のディテールを注意深く観察。柱も、照明も、壁もほんとに凝っている。居間の暖炉の上の石版(画像石)の彫刻も素晴らしかった。中国時代の墳墓の装飾に使われた彫刻がほどこされた石だそうだ。中国なのに、模様の柄が馬車柄でちょっと昔のセリーヌみたいで素敵。ここでまた不明者が「えー。お墓の石、盗んできちゃったのかな?!悪い人じゃんっ(笑)」というので、「えー。たぶん、オーナーが日本の実業家なので、ちゃんと、お金は払って買っていると思いますよ」と、不毛な会話を繰り広げる。

地中館ではお馴染みのモネの「睡蓮」やルノワールの「裸婦」などを間近で見る。「睡蓮」って離れてみると、蓮の花びらや水面のさざ波の繊細さを感じられるのだが、間近というか、描いている側の立場から見ると、何が何だか分かって描けているのかな?と不思議に思う。近距離だと、もう油絵具べたべたで、花なんだか、草なんだか、水なんだか、混乱しそう(笑)モネ、さすがだわ。

そして、私たちが一番食いついた作品が、2階へ続く階段の途中に展示してあったBobbin社製のPlayingRhythmという時計。糸に錘がつけられていてそれが一定の間隔で動いていくことで時を刻む、要はからくり時計なのだが、結構な大きさで、これほど複雑な造りのものを見たことがなかったので、10分くらい二人でじーーーーっと立って見つめていた。その後、ネットで調べても、誰が、どういった経緯で、どういう目的で作られたのか等の情報は出ていなかった。この構造、他の時計でもあるのだろうか?見たことないので気になる。

たっぷり見学して、2階のカフェでケーキとコーヒーをいただいて、館を後にする。

 

その後、京都駅に戻り、伊勢丹でお土産を買い、帰りの新幹線で食べるお弁当を買い、東京へ戻った。

 

いやあ、今回は、異文化人間が一緒にいたということもあって、普段とは違った目線で京都と接することができて、とても楽しかった。不明者とは20年以上の付き合いなのだが、初めて知ることも多かったし、意外と一緒にいても空気にように自然で、全く気を使うことがなくて、すごく快かった。気が合うというのか、遺伝子が合うというのか、そういう気持ちよさを感じた。また機会があれば一緒に旅をしたいなあと思った。

 

今回の自分へのお土産は、これ。

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藤吉のお抹茶と玉露、原了郭の黒七味、阿闍梨餅。

渋い。というか、ジジイ。