きのう、何してたかな。

猫好き、山好き、本好き、映画・ドラマ好き。トドメは食いしん坊OLの、平凡な記録です。

京都へ行きたい。


12月は、韓国へ行くことになっている。
でも、心はすっかり京都へ向かっており、落ち着かない。

 

少し前、
藤森照信さんと山口晃さん共著の『日本建築集中講義』を読んだのだが、
内容がとても面白くて、建築の奥深さにはまってしまった。
藤森教授の著作は何冊か読んでいたのだけど、今回は山口さんという、日本の現代美術家日本画をたくさん描かれているから日本画家だと思ったら、違っていました!)からの視点も入っての解説、というか感想なので、奥行も加わり、立体的で、鮮やかな建築物の魅力を感じることができたのだ。
中でも京都の建築物についての表記が興味深く、この目で直接確かめてみたーい!という欲求が高まってしまったのだ。

ちょっと簡単にですが、わあ、面白いなあと思った箇所を抜き出してみましょう。
(この本は、建築に関する解説はだいたい藤森教授が語っており、質問や合いの手、美術品に関する解説は山口さんが入れているという会話形式の内容となっている。)


法隆寺について。
法隆寺は、他のお寺に比べてあんなに廻廊の効果がはっきりわかる建築もない。
それに徹底的に影響を受けたのが、現代建築家の丹下健三さん。
法隆寺の構成配置は、大小の建物を散らして配置して、そうすると全体の印象がばらけるんですが、それを廻廊で一つの空間にまとめる方法。それを丹下さんは「自分の建築に使える」と。東京都庁舎の廻廊らしき部分は、そういう手法から来ているのだろう。

法隆寺の柱は一本の木を縦四等分して四本柱を作っている。木の芯の部分は弱いから、一本を縦に四等分に切って、それを成形していく。寺や寺社に檜を使うのは、強くて粘りがあって、加工がしやすくて、狂わない、腐らない、建材としては最高の木だから。
法隆寺が現代まで残ったのは檜の良材をたっぷり使ったからでしょう。


☆待庵(一番興味を持ったので長く抜粋してみるが、長すぎたorz)
禅寺妙貴庵の境内にある実験茶室「待庵」。茶の湯の大家千利休が作った、わずか畳二枚の極小空間。
待庵は、日本の茶室の原形。屋根の納まり方が非対称で、片側が一尺上がっている。あんな中途半端な納まりは日本建築ではありえない。
たとえば長押。田舎家でも、必ず襖の上に身長の高さで通すのが基本。でも待庵では、全部ガタガタの構成にして高さの目安となるものを消している。あと、田舎家の建築は、柱が全部見えるように造るのが大原則。でも待庵は、完全に見える柱、一部だけが見える柱、完全に見えない柱、それらが混在している。茶室研究の最高峰である中村先生でさえも、洞床の構造や、塗り回しした後に隅にどうやってもヒビが入るのに、待庵では入らないのか等、先生をもってしても解き明かされていない。謎のまま。
そして、待庵最大の謎は、待庵について全く文献が残っていない。いつ誰が造ったか、どんな事情でできたか一切不明。ただ、山崎の合戦の頃に、秀吉のために利休が造った茶室であることだけは信じて疑われなかった。何の茶碗を出して誰を呼んだとか、利休に関わるお茶の記録のほとんどは茶会記に出てくるのに、一番大事な待庵だけがなぜか一切の茶会記に出てこない。。。ということは。。。待庵の茶会記を残せるとしたら、秀吉しかいない。でも秀吉はそんなこと書くヒマはない(笑)その後、徳川家康が天下をとるので、記録が消された可能性もある。
戦場で「囲い」という茶室を造る伝統は長くあって、喫茶で心を鎮めるのと、飲んで興奮した状態で戦場に臨むという二つの目的があった。だから茶室は、相当血なまぐさい場所でも使われたもの。利休としては待庵が実験台。
あと、床框の材も謎のひとつ。桐じゃないかと昨今ではいわれているが、桐はゴマノハグサ科の木だから、軽くて強度がない。天井板に使う例はあっても、柱や框などの主要材にはまず使わない。…とここで、山口さんが、秀吉の家紋とは関係がありませんかという質問が出る。
面白い。秀吉は五三の桐の紋なのでそれで桐にしたのかも!と。
茶室にとって大切なことは、狭いことと閉じていること。待庵は1.8メートル四方だから、

人間が手を伸ばして立った姿と同寸法。ウィトルウィウス的人体図を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチと同じ発想。誤解されやすいのだが、あの図は彫刻や絵のために描かれたのじゃなくて、建築のために描かれたもの。ウィトルウィウスというローマの建築家がいて、有名な建築書を書いている。それを読んだレオナルドが「建築の基本単位とは身体尺だろう」と参考のために描いた図。レオナルドより利休のほうがエライと思うのが、レオナルドはイメージ図を描いただけだけど、利休はそれをかたちにちゃんと造ったことだ。レオナルドの思想と全く同じ「究極」を考えていたのだろう。それで、あの図の寸法からひとまわり広げて、一坪にしたのだと思う。


最後に角屋……と書こうとしたのだが、
いい加減、長すぎるのでやめておく(笑)。
でも、角屋も素晴らしいのだ。
土壁の螺鈿とか、岸駒、岸岱や、普通じゃ見られない一流の絵師たちの書画なども見てみたい。青貝の間の柱の斬り込んだ疵も見てみたい。
とにかく、直接行って、自分の目でしかと確かめてみたくて仕方なくなる本なのである。